■挨拶
木和田株式会社の木和田(きわだ)は、まだ商人に苗字が許されれていなかった時代、木綿屋(もめんや)という屋号で商いを行っていましたが、明治時代になり、木綿(もめん)を木和田(きわだ)と読み替えたことに由来します。
そして栁ごおりの産地問屋として全国各地へ卸売業務を行って参りました。
そして現在は、ビジネスバッグやボストンバッグを中心としてバニティケースや化粧ケースに至る多くの商品を創り続けております。
また、観光事業の一環として展示即売場を開設し、出石・城崎等、観光で但馬を訪れて頂いた団体様やご家族ご友人等の個人客様にもお立ち寄り頂いております。
これらの永きに渡る信頼・信用に対し、誠意をもって社業に取り組んで参ります。
今後共、引き続き御愛顧を賜ります様、宜しくお願い申し上げます。
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■会社経歴書
会社名 | 木和田株式会社 |
所在地 | 兵庫県豊岡市九日市上町817番地13 |
電話 | 0796-22-7151 |
FAX | 0796-22-7228 |
創立 | 文政2年(1819) |
会社設立 | 合名会社として昭和27年1月12日(1952) |
改組 | 平成5年7月1日 株式会社に組織変更 |
資本金 | \48,800,000 |
業種 | 鞄・袋物の卸、小売業 |
決算期 | 年1回(5月) |
取引金融機関 |
三井住友銀行:豊岡支店/但馬銀行:豊岡東支店 但馬信用金庫:本店営業部/日本政策金融公庫:神戸支店 |
役員 | 代表取締役:木和田 泰司(昭和32年生) |
加盟団体 |
豊岡鞄協会、兵庫県鞄卸商業組合、豊岡商工会議所、 (協)豊岡鞄工業センター、豊岡観光協会、豊岡納税協会、他 |
明治後期の木和田商店
現在の社屋 |
■沿革
文政2年 | (明治元年以前50年)1819 但馬国豊岡新屋敷にて、木綿屋五三郎(もめんやごさぶろう)が柳行李の製造販売に着手 |
明治中期 | 平民に苗字が許され、木綿(もめん)を木和田(きわだ)と読み替える |
明治42年 | 柳行李に伍して、柳バスケットも手掛ける |
大正時代 | 信玄袋にとってかわり、大正バスケットが人気。旅行篭と共に果物篭・花篭・魚篭も販売 |
昭和初期 | 幾度かの戦争に依り、平和産業の杞柳工業は軍需工業となり、軍用行李と飯行李の生産増強と同時にファイバー鞄が誕生 |
太平洋戦争後 | 柳行李がデザインに新しい感覚を持ち、ファッション的要素を持った製品となり昭和21年から10年間ファイバー鞄の製造販売 |
昭和27年1月 | 個人商店から脱皮、合名会社木和田商店を設立。代表社員に、故・木和田理美が就任。ビニールレザーを使用したオープンケースの他、鞄、袋物、更にふとん袋も加える |
昭和43年6月 | 鉄筋4階建桜町ビル完成に伴い本社移転(創業150周年) |
昭和46年1月 | 鉄骨2階建事務所兼倉庫が鞄団地に完成。貿易部入居 |
昭和55年6月 | オイルショック等に依り、貿易部撤退後本社を鞄団地に移転 |
昭和57年3月 | 観光事業部開設 |
平成元年1月 | 鉄骨3階建事務所 昭和町ビル完成 |
平成3年2月 | 鉄骨4階建鞄団地ビル完成 |
平成5年7月 |
木和田株式会社に組織変更、木和田泰司が代表取締役社長に就任 現在に至る |