暮らしに根を張る、
芯ある鞄。
兵庫・豊岡で二百年以上、鞄づくりに携わり、
「使う人のために」という想いを大切にしてきた私たち。
暮らしに根を張り、長く愛されるもの。
使うほどに持ち主の生き方を映し出し、
味わい深くなるもの。
それが私たちの鞄です。
見えない部分まで丁寧に仕立て、
使う人の日常を思いやる。そんな誠実さを貫くこと。
――それが木和田の“芯”であり、
江戸時代の「木綿屋」から明治以降の「木和田」へ、
名を変えても変えないもの。
変わらないものづくりの姿勢です。

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鞄づくり一筋の高い技術を持つ工房で製造。素材や機能性、デザイン性のすべてを大切に、それらのほとんどを職人の手作業で仕上げています。人気のダレスバッグ(ガマ口式)をはじめ、牛革製や帆布製など多彩なラインナップが魅力です。
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創業者である「木綿屋五三郎」の名を冠するキャンバス(帆布)のブランド。江戸時代に五三郎が製造販売していた、鞄の源流ともいえる柳行李(やなぎごうり)を、現代風にアレンジしたデザインの鞄を展開しています。
自分に合う鞄が、
見つかる。
豊岡にある本社ショールームでは、オリジナルブランドをはじめ、様々な鞄を、手に取り、その質感やぬくもりをじっくりと感じながらお求めいただけます。さらに、鞄の原点であり、木和田の源流ともいえる柳行李も展示。時を超えて受け継がれてきた技と心に触れていただけます。

柳行李の歴史
柳行李は明治の中頃まで骨柳(こつごおり)と呼ばれており、古くからその存在はあったようで、西暦927年編纂の「延喜式」によれば奈良正倉院の調度品の箱の部類に柳の細枝を麻や絹糸で長方形または円形に編まれた「柳筥」(やないばこ)があり、これが完全な骨柳(こつごおり)としてみられる。「大宝賦役令」(703年)には「筐柳(はこくさ)一把あり」とあり「続日本書記」(722年)にも「筐柳」「柳筥」の記述が見られ、当時宮中への献上物として用いられていたと思われる。

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大阪・神戸から
①【中国自動車道】⇨吉川J.C.T⇨【舞鶴若狭自動車道】⇨春日I.C
⇨【北近畿豊岡自動車道】⇨但馬空港I.C⇨一般道
②【中国自動車道】⇨福崎I.C⇨【播但連絡道路】
⇨但馬空港I.C⇨一般道 -
京都から
【京都縦貫自動車道】⇨丹波I.C⇨一般道
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姫路から
【播但連絡道路】⇨但馬空港I.C⇨一般道
- 駐 車 場
- バス10台 / 自家用車30台
- 営業時間
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- 平日
- 9:00〜16:00
- 土・日・祝
- 10:30〜17:00
- 定 休 日
- 年中無休
但し、年末年始・お盆・天候不良等により、
臨時休業の場合あり。


ご挨拶
代表取締役木和田 泰司

文政二年、初代木綿屋五三郎が柳行李の商いを始めて以来、私ども木和田は二百年以上にわたり、鞄事業一筋に歩んでまいりました。この長きにわたる歩みは、ひとえに皆様からの温かいご支援と信頼の賜物と、心より感謝申し上げます。
私たちの商いの根底には、常に「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方良し」の精神が息づいております。「木和田の鞄を買ってよかった、使ってよかった」。お客様にそう心から感じていただくことこそが、私たちのものづくりの原点であり、最高の喜びでございます。
そして今、私たちはこれまでに培ってきた伝統と技術を礎に、新たな挑戦へと舵を切ろうとしております。私たちの想いを込めた製品を直接お客様へお届けする小売事業、多様化するニーズにお応えすべく、新たな価値を創造するODM・OEM事業にもパートナー企業様と共に一層注力していく所存です。
時代の変化を捉え、事業の形は進化させながらも、お客様一人ひとりの声に真摯に耳を傾けるという私たちの姿勢は、決して変わることはございません。これからも皆様の日常に寄り添い、長くご愛用いただける鞄を創り続けることをお約束いたします。
- 会社名
- 木和田株式会社 (KIWADA Co., Ltd.)
- 所在地
- 兵庫県豊岡市九日市上町817番地13
- 電話
- 0796-22-7151
- FAX
- 0796-22-7228
- 創立
- 文政2年(1819)
- 会社設立
- 合名会社として昭和27年1月12日(1952)
- 改組
- 平成5年7月1日 株式会社に組織変更
- 資本金
- ¥48,800,000
- 業種
- 鞄・袋物の卸、小売業
- 決算期
- 年1回(5月)
- 取引金融機関
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- 三井住友銀行:豊岡支店/但馬銀行:豊岡東支店
- 但馬信用金庫:本店営業部/日本政策金融公庫:神戸支店
- 代表者
- 代表取締役:木和田 泰司(昭和32年生)
- 加盟団体
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- (一社)豊岡鞄協会、兵庫県鞄工業組合、
- 豊岡商工会議所、(協)豊岡鞄工業センター、
- 豊岡観光協会、豊岡納税協会、他
- 沿 文政2年
- 1819年(明治元年以前50年)但馬国豊岡新屋敷にて、木綿屋五三郎(もめんやごさぶろう)が柳行李の製造販売に着手
- 明治中期
- 平民に苗字が許され、木綿(もめん)を木和田(きわだ)と読み替える
- 明治42年
- 柳行李に伍して、柳バスケットも手掛ける
- 大正時代
- 信玄袋にとってかわり、大正バスケットが人気。旅行篭と共に果物篭・花篭・魚篭も販売
- 昭和初期
- 幾度かの戦争に依り、平和産業の杞柳工業は軍需工業となり、軍用行李と飯行李の生産増強と同時にファイバー鞄が誕生
- 太平洋戦争後
- 柳行李がデザインに新しい感覚を持ち、ファッション的要素を持った製品となり昭和21年から10年間ファイバー鞄の製造販売
- 昭和27年1月
- 個人商店から脱皮、合名会社木和田商店を設立。代表社員に、故・木和田理美が就任。ビニールレザーを使用したオープンケースの他、鞄、袋物、更にふとん袋も加える
- 昭和43年6月
- 鉄筋4階建桜町ビル完成に伴い本社移転(創業150周年)
- 昭和46年1月
- 鉄骨2階建事務所兼倉庫が鞄団地に完成。貿易部入居
- 昭和55年6月
- オイルショック等に依り、貿易部撤退後本社を鞄団地に移転
- 昭和57年3月
- 観光事業部開設
- 平成元年1月
- 鉄骨3階建事務所 昭和町ビル完成
- 平成3年2月
- 鉄骨4階建鞄団地ビル完成
- 平成5年7月
- 木和田株式会社に組織変更、木和田泰司が代表取締役社長に就任現在に至る